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軍事政策の目的

軍事政策は狭義には軍事行政において作戦行動に必要な軍事力の造成を目的とする政策を指すが、軍事目的を達成するための政治的な行動方針でもある。国防省の管轄にある事項であり、軍事活動における抑止・排除政策を包括する政策である。

これは軍事戦略に基づき、安全保障政策や外交政策で規定される。軍事政策は仮想敵国を設定して諜報活動を行って軍事情報を収集し、その軍事力を分析し、これに対抗するための軍事計画を準備する。ただし軍事政策はしばしば外交政策と対立することがある。国益のための軍事的な行動は国際社会にとっては疑惑の対象となるからである。


軍事政策はその国の地理的な特性や政治文化、国家理念や軍備などに基づいている。特に地理的な特性は軍事地理学的な影響が大きく、軍備の配置や作戦計画に関連する。さらに陸海空軍のどれを重視しているのかも国によって大きく異なっており、大陸国家は陸軍力を、海洋国家は海軍力を重点的に整備する場合もあるが、これは戦争の形態や国家戦略などによっても左右される。

軍隊と経済

軍隊が防衛任務を充分に果たせるように維持し続けるためには、将兵を養うための経費に加えて、兵器の開発と調達、日常的な訓練の経費、弾薬や燃料の備蓄費用など、すべて政府が税金によって負担しなければならないので経済基盤がなければ軍事力を維持することはできない。

このため、軍事力を維持するには経済的な基盤が不可欠である。

経済的視点で見れば、軍隊は非生産組織であるために投資が行われても再生産によって投資金額が回収されることはなく、ひたすら消費するのみである。

一般には、好況時に軍隊に労働力が奪われることは民間部門の経済活動を阻害する場合が多いが、不況時などでは民間企業が必要とする以上の労働力が生じた場合に過剰な労働人口を軍需産業や軍隊に雇用することで経済状態の改善を図るという公共事業としての性格も備えている。

日本の軍隊の発達史

大化の改新で臣・連・伴造が組織され、7世紀には全国的に軍団として編制した。大宝律令、養老律令によって中央に兵部省、首都に五衛府、地方に軍団・鎮守府・防人を配備した。鎌倉幕府では全国の御家人を戦時に運用する体制を整えて元寇を戦った。戦国時代においては集団戦法が主流となっていたために軽装の歩兵である足軽が登場する。当時の小銃の技術や築城技術の発達、また織田信長や豊臣秀吉が兵農分離や刀狩りを進め、徳川幕府の体制で士農工商の階級が確立された。


江戸幕府では大名、寄合、旗本、御家人が組織化されているが大きな軍制の変化はない。しかしペリーの来航に伴い西洋の知識が流入すると、フランス式の軍制が幕府軍に導入され始める。明治維新の後に軍制改革は特に活発化し、常備軍の徴兵制を推進する。廃藩置県で日本の軍事力を鎮台として編制するが、後にこれは洋式軍制に習って師団として再編される。1873年には徴兵令を発令して国民皆兵を導入し、日清・日露戦争で軍備を増強した。



戦後に日本の軍備は連合国によって解体されたために不在であったが、朝鮮戦争を機に警察予備隊が創設され、保安隊を経て専守防衛を旨とする自衛隊が発足した。

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